総合人形専門店 こうげつ人形

雛人形(ひな人形)と五月人形そして鎧・兜・鯉のぼりや、 日本人形・フランス人形・盆提灯・祭り提灯などを製造販売する総合人形専門店。

こんな話しってる?端午の節句 豆知識

ちまき(粽)と端午の節句の関係

端午の節句とちまきの関係は?

image 端午の節句の食べ物は、柏餅や粽(ちまき)ですね。これらは、日本で最も古いお菓子の形残したものと言われています。
柏餅は日本の独特なものです。粽(ちまき)は中国から渡来したものです。

柏餅

柏餅は、柏の葉に上新粉とくず粉(片栗粉)を混ぜてつくった「しんこ餅」に、あんを挟んだものを置き、柏の葉を二つ折りにして包んだお菓子の事です。ご存知ですよね。

柏餅が日本の歴史に登場したのは、寛永年間(1624~1644)頃のようです。
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があるので、 「子供が産まれるまで親は死なない」即ち「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、「柏の葉」は「子孫繁栄」につながります。

中国から渡ってきた端午の節句行事としては珍しく、柏餅は日本で生まれた食べ物だったという事です。

当初は塩餡を用いていたようですが、江戸時代後期になって小豆餡や味噌餡が一般的になりました。
「守貞漫稿」5月5日の項で「男児生まれて初の端午には粽を配り、二年目よりは柏餅を贈る…江戸にては初年より柏餅を贈る」「赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裡(うら)を出して標(しるし)とす」という風習が記されています。


粽(ちまき)

柏餅が日本のオリジナル祝い餅な一方、粽は中国の行事とセットで日本へ伝わってきた習慣です・中国は戦国時代、紀元前278年のことです。
楚(そ)の国の高名な詩人、屈原(くつげん)は国王の側近としてつかえ、人々からも慕われていました。しかし陰謀のため国を追われることになった屈原は、ついに汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。
その日が5月5日。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさんのちまきを川に投げ入れて弔いました。

 ところが漢の時代に、里の者が川のほとりで屈原の幽霊に出会います。
幽霊曰く、「里の者が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、残念なことに、私の手許に届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまう。だから、今度からは蛟龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色の糸で縛ってほしい。」 と言いました。

それ以来、楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み五色の糸で縛って川へ流したので、無事に屈原の元へ供物が届いたのでした。これが粽の始まりと言われています。屈原の故事から、中国では五月五日の節句には、節物として粽を作り、親戚や知人に配るという習わしが生まれました。

そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。時が流れて後、中国の三国志の時代、端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。
そして日本へ端午の節句行事とともに伝わり、今日に至っているわけです。

一説のよると、楚の国民達は、小舟で川に行き、太鼓を打ってその音で魚をおどし,さらにちまきを投げて、「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。
その日が中国の年中行事になり、へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれたそうです。

これは今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始まりとも言われています。

盛大な祭に発展していったのはなぜ?

image 歴史の上ではどちらかと言えば些細なこの事件が、このように盛大な祭に発展していったのでしょうか?
それは、次のような理由だと言われています。

急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。
その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、 薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願します。

人々の生きるための切実な思いによるものが、端午の節句が生まれた理由なのでしょう。
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